8ヶ月ぶりの再会

現地のこと

ボッチでマレーシア

家族がマレーシアに移ってから8ヶ月。
ようやく有休も使えるので早めの夏休みを取得

まずは家族が住む地域へ行くために羽田からクアラルンプールへ

日本でしか手に入らない食材や、マレーシア現地で買うと高くなってしまうような食材、子供たちが使う文房具などはパパエクスプレスが運ぶ

まだみんなマスクしているな

郵便局で発送すると5キロで1万円程度配送料がかかってしまうので、現地に行くときにできるだけ持っていけるようにする。

スーツケースだとスーツケース分が重くて量を運べないし、帰りのことを考えると段ボールが一番いい

荷物を運んでくるとみんながとても喜ぶ。
私が久しぶりに会うよりも日本の食材の方が嬉しいのかなと思ってしまうくらいだ。

到着した日は子供たちは学校で、奥さんと一緒に学校見学をすることになった。
なにせ、移住を決めたときに自分だけ住む場所も学校も見学することなく決まったので初めてなのだ。

日本とは違った雰囲気の学校。
子供たちはここで友達を作ったり、勉強したりしているんだなと少し誇らしくも感じる。

このタイミングで家族のもとを訪れたのは、子供たちがホリデーになるから
子供たちが通っているインターでは、日本の公立学校とは異なり、重要なテストが終わると10日間程度の休みがいくつかある。

久しぶりの団欒

毎週Skypeで顔を見ながら話をしていたので、そんなに懐かしさはない。
でも、やっぱり背が伸びたんだな~と成長を感じる。
これはいくら顔を見てコミュニケーションをとっていてもわからない。

いざ、ペナンへ

家族でペナン島に旅行に行くことになった。
こちらも仕事があるので、長期滞在ができない。(リモートワークOKって言っていたのに・・・)

車でペナンまで行って、そこからひとりで飛行機でクアラルンプールに向かって帰るというルート

荷物を詰め込んでいざ出発!

運転は国際免許を持っていないので奥さんがずっと運転手
子供たちと他愛もない話をしながらどんどん進んでいく。
日本にいるときは長距離の運転は交代でしていたが、今回ばかりは楽をさせてもらいます。

数時間したところで大きな橋を渡る

ペナン島に到着

子供たちと奥さんの3人は以前にも来たことがあるらしい。
日本の領事館がペナンにあり、今住んでいる場所の管轄の領事館のようで、日本の小学校の教科書なども受け取ることができるんだとか。

おいしいものばかりのペナン島

ペナン島というとリゾートのイメージがあったが、そんなに海は綺麗じゃない
大型のショッピングモールに行って、そこで豪華な食事

豪華な食事と言っても、あくまでも「我が家にとって」の豪華な食事。
移住を決意した時の年収と比べると半分に減っているので、いつも贅沢はできない。

3人は日本食に飢えているので、とにかくラーメン・寿司・焼肉のスリートップが食べたいらしい。
俺は日本でいくらでも食べられるが、みんなはそうはいかないからな。

パパが会いに来た記念ってことで少しばかり豪華に食べたいものを食べる。

みんなのお勧めは、デザートの「チェンドル
名前だけ聞いても全くイメージができなかったが、日本でいうかき氷で小豆がのっていてCINCAU(チンチャウ)という植物を煮詰めて寒天のように固まっているものが入っているデザート。

これがチェンドル

これはうまい!

この写真のものはショッピングモールで食べたものだけど、街中で売っているチェンドルで発祥のものかなにかのようで、確かにそっちもおいしかった!写真はないけど動画があった!

そして、屋台がたくさん並んでいるエリア

安くておいしい料理がたくさん!
これは太ってしまう

Penang War Museum

ペナンには「Penang War Museum」がある。日本語で言えば戦争博物館。

実は日本は1941年から3年8ヶ月もの間ペナン島を占領していた。
自分は全くそんなことを知らなかったが、現地の人たちは当たり前のように知っている事実。

1930年代に英国によって要塞として建てられ、その後日本人が捕虜収容所として使用していました。ペナン戦争博物館は、その暗黒時代の記念碑となっています。約8ヘクタールの敷地に広がるこの博物館は、東南アジア最大の戦争博物館と呼ばれているらしい。

学校で歴史の授業があり、朝鮮半島に乗り込んでいったりアメリカに真珠湾攻撃をしたことは知っていたが、マレーシアやシンガポールまで侵攻していたというのは全く知らなかった。

子供たちも学校で少し習ったらしく、こういった会話ができるようになったのも成長を感じる時間となった。

21世のこの時代でもまだ戦争はやっている
どうして歴史は繰り返されるんだろうか

韓国や中国が日本に対して戦争での嫌な思い出をずっと持っている。
おそらく戦争に駆り出された人たちはほとんど高齢で亡くなっている人が多い。

でも、現代の若者も侵略によって酷いことをした日本というように学んでいる人も少なくない。
だから今もなお戦い続けている人たちはその次の世代や更に次の世代にも遺恨を残してしまうんだろうと思う。

その銃口を向けている人の息子や娘はどういう思いでいるだろうか?

ぼっちで帰国

戦争博物館を出てしばらくしてたらもう帰る時間

寂しいな~と思いながらペナンの空港まで車で送ってもらう。

「またね!」

またSkypeで繋ぐ日々が続くので顔も見れるし声も聞ける。
でも直接会って話ができるのは5ヶ月後くらいかな

年末には子供たちが長期の休みに入るから日本に帰国する予定。
それまではまたお互いがお互いの日常を過ごしていく。

飛行機の出発まで搭乗口で待つが、久しぶりに見たダンキンドーナツ
いつの間にか日本では見かけなくなった見慣れたドーナツ屋さんでコーヒーとドーナツを1人分注文して待つ。

ペナンからクアラルンプールまで飛行機で約1時間

クアラルンプールから羽田まで7時間ちょっと
日本時間の夜22時半過ぎ。

自宅に着くのは日付が変わる頃。
羽田に到着した時点でLINEで着いたよ~と連絡をしてももう寝てるかな。

奥さんも子供たちを連れて車で帰って疲れただろう。

次に会う日まで・・・。

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